本文へジャンプ

松前、五稜郭。道南サクラ鑑賞道中

2167

きのうは、ふだんなかなか行けない、最果ての道南、松前まで
サクラ鑑賞に出かけて参りました。
松前までは札幌からは、最短距離だと380kmくらいだそうですが、
高速道路をなるべく使っていく函館経由で行くと、約400kmになります。
釧路に行くよりもはるかに遠くなる。
でもまぁ、交代で運転していけば、なんとかと思って、
早朝3時に早起きして、出かけてきた次第であります。

松前というのは、江戸時代に幕藩体制最北の藩だった北海道の藩ですが、
なんとも、北海道のいちばん最南端で、
外国であったアイヌの住む蝦夷地との「交易」利益にひたすら寄生した権力。
来てみるとわかりやすいのですが、
北側は急峻な山が囲むようにそびえていて、
南側は海に開いている。
東西は、これも急峻な海岸線が続いている、という防御的な城郭。
北海道を開拓しようという意志のかけらも見いだせない、
ただただ、寄生・寄食するしか考えがない退嬰的な権力だと知れます。
蝦夷地に根ざして開墾農業を基本にした国造りを考えれば
誰が考えても、より東側海岸の函館平野に進出して
天然の錨地・良港として函館の地の利を活用すべきでしょう。
広闊な函館平野を一望すると、ざっと10万石程度は下らないように見える。
コメ生産も、奥羽のことを考えれば、そう極端に困難とまでは言えないようです。
いや、たとえば山形や、八戸などの土地柄と比較すると
たぶん、入植をしっかり進めれば、かなりの人口は養えたでしょうね。
この松前権力が戦国期から江戸期を通じて続いたことで
北海道は、たぶん、400年間くらい開拓が遅れた。
徳川幕府は、この松前藩の退嬰的な姿勢を見て
蝦夷地支配の意志が希薄だと考え、北方の警備の必要からも
自ら直接支配を何度も試みてきていました。
・・・というような残念感が、ここに来るといつも思わされる。
今回は時間もあったので、じっくり寺町からお城まで、散策しましたが、
交易と漁場経営だけしか入金手段がないけれど、
それでも広大な寺院がいくつも勧請されていて、
その藩財政規模の大きさをうかがい知ることができました。
経済的な栄華の様子は、ほかの日本各地の「藩」と、
いや、それらの平均以上に巨大な予算規模だったように思います。
そういった経済規模を活かして、地域の開拓開発を進めていれば、
北海道の姿は、いまとまったく違う者ものだったかも知れない。
城郭とサクラというごく日本的な景観を見るに付け、悔やまれます。

2178

一方こちらは、幕末に幕府が築城した五稜郭の満開のサクラ。
北方の開発が国土の安全保障にとってきわめて重要だという意志を
この城郭建築からは感じることができます。
江戸期に、蝦夷地を幕府が最初から直営していれば、
もうすこし、日本の歴史は違っていたに違いありません。
城とサクラという日本風情を見ながら、そんな思いが去来していました。

コメントを投稿

「※誹謗中傷や、悪意のある書き込み、営利目的などのコメントを防ぐために、投稿された全てのコメントは一時的に保留されますのでご了承ください。」

You must be logged in to post a comment.